menu

『広島記』支部報にて好評連載中 先月までの掲載分をアップします

『広島記』
保土ヶ谷支部 佐藤宏

8月4日、新幹線で広島へ
指定席、空調の利いた車両
広島まで4時間、快適な旅だ。隠れてビールを2本飲んだ。
広島駅から路面電車でホテルへ、車両から観る街は広い道、街路樹が美しい。新旧交々のビルが整然と建ち並ぶ。ゴミが落ちていない素敵な街だ。
ただ暑い。風もない。
ホテルに荷を預け、すぐ「開会総会」会場のグリーンアリーナに。班員5人で徒歩で向かう。
平和通りから元安川に架かる平和大橋の袂を右に曲がると、あった。  原爆ドームだ。
川の畔に樹木に囲まれ、鉄骨だけの象徴的なドームが小さく見える。 まだ遠い。
この時、私の体に「何か」が作用した。いきなり何の予兆もなく突然、涙、鼻水が流れ出す。
垂れるではなく流れる。
そして、強烈な吐き気。
木の横に吐いてしまった。

原爆ドームを間近に見る。
三階建てか、ドームの骨を残し、屋根はない。屋根どころか床もスラブごとすべて落ち、ひしゃげた螺旋階段を軸に辛うじて僅かながら壁、コンクリートが貼り付いている。後ろにH鋼で補強し崩壊を防いでいる。ハリボテの状態だ。

これが『ヒロシマの象徴』

グリーンアリーナが見えてくる。遅くなる歩みを班員が気遣って下さる。申し訳ない。。

解体中の広島市民球場前の衣笠の碑の横でまた吐いた。

日陰で少しだけ休む。立っていられないが座ってしまえば立ち上がれない気がした。
膝に手を当てると汗が噴き出してきた。頭から顔・背中・腹・手・足すべてから汗が流れ出る。
着ている服がびしょびしょになるくらい汗が出た。

グリーンアリーナで開会総会に参加。満席で5~6千人はいただろう。
ようやくホテルに帰れた。
冷水シャワーを浴びクーラーを効かせた部屋で体を横たえる。すぐに寒くなった。今度は熱いシャワーを浴びた。
夕食交流会まで一時間を切っている。体は回復しない。焦る。
TVが映っているが天井を見たまま、目ん玉も動かしたくない。
今日は何をしたのだろう。。。
不調のまま夕食交流会に臨む。
乾杯の一口のビールも咽を通らない。そばにいた方に訳を言い早々に帰らせてもらうことにした。
会が盛り上がる頃、こっそり外に出た。
広島は夜も蒸し暑かった。
犠牲者のための迎え火か、原爆ドームはライトアップされていた。
淡いオレンジ色のライトは、崩れたモルタル・レンガ造りの壁をなめるように照らし、傷跡をより強調している。
ドームの周りを一周してホテルに帰った。

8月5日。体調は良い。
分科会・憲法9条と原水爆禁止運動に参加。壇上の先生の話を聞く。
・憲法9条の尊い理念、これを遵守する国民の権利と義務
・核兵器の恐怖
・東京湾入口 横須賀に原子力空母、潜水艦という原子炉が存在するという事実
・戦前、戦中、戦後の教育の変化  等々
そして、参加者からの意見発表。北海道から沖縄、10代から80代の方まで。皆さん沢山勉強されてしっかりした自分の意見を持っている。隣に座った沖縄から来た20代の男性に最近の沖縄の様子を伺った。
私は25年ほど前に約10年間沖縄で暮らしていたので懐かしかった。沖縄人(しまんちゅ)は独特の雰囲気を持っている。全く面識がないが何故か嬉しい気持ちになった。
辺野古では埋立て反対で座り込む人々の頭をクレーンで越えて資材を搬入していると聞いた。
もう一つの故郷、沖縄を憂う。分科会の後平和記念公園の資料館に入る。
67年前の明日に現れた地獄の記録を見る。展示されている遺品の数々は、どれも高熱で溶けて煤にまみれている。
その品々の傍では人間が生活していたのに。
壁に掛けられた写真パネルの中に柩に収まった少女の写真があった。被爆の数年後に白血病を発症し、長期にわたる闘病生活。女の子は、自分が健康な体に戻ると信じて治療を受けたのか、それとも…
棺いっぱいの花に囲まれた女の子は安らかな顔をして眠っている。本当に安らかな顔だ。
苦痛から解かれた安堵か
この子を見送った方々の悲しみ、苦しみ、怒りは幾許であろう。
『安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。』心に誓う。
資料館を出て元安小学校に向かう。平和記念公園は明日の式典の準備をしている。

(保土ヶ谷支部報12月号につづく)

特定保健指導を開催11/28特定保健指導を開催しました。

20121202-133751.jpg12/2 技能まつり開催

PAGE TOP