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建設アスベスト訴訟 第二陣 第2回期日

12月11日(木)14時に建設アスベスト訴訟 第二陣 第2回期日が横浜地裁で開かれ保土ヶ谷支部の原告が、主人を奪った病、私をこんな悲しみに突き落とした病の原因となったアスベストが憎くて憎くて仕方ありません。と意見陳述を行いました。

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開廷前、原告団を支援するため、雨の中大勢の方が地裁前に集まり集会を行いました。

 

意見陳述内の全文を記載します。アスベスト訴訟へのご理解、ご支援をお願いいたします。

意見陳述書

2014年12月11日

 

主人とは同じ高校の建築家の同級生で、27歳の時結婚しました。私も設計をしていましたが、主人は設計士として工事管理の仕事にたずさわり、週に2~3日は現場に出向き、建物が設計図通りに出来ているかチェックし、現場での修正や工期の遅れの挽回方法などについて現場監督と協議する作業を行っていました。吹き付け作業が行われている近くで検査を行うこともありました。

主人は42歳の夏に、咳が続き、食欲も落ち、胸がチャプチャプ音がするようになり、苦しくて歩くのもままならなくなってきました。

近くのクリニックを受診したところ、肺にかなり水がたまっているので精密検査が必要と言われました。

私は本屋で「肺に水がたまる」「精密検査必要」と調べると、「がん」「予後がない」と、どれも同じことが書いてあるので、ああ、もうダメなのかと落ち込みました。

その後、聖マリアンナ病院を受診したところ、「残念ですけどガンです。心臓のそばなので手術はできません」「抗がん剤治療での延命しかありません」と告知され、その場で即入院になってしましました。私も仕事があり、夕方病室を出たのですが、お店に戻っても、もううわの空で、お客様が来てもとても対応できる状態ではありませんでした。

覚悟はしていたのですが、どうしよう、どうなっちゃうのかとこれからのことが全く想像がつかず、うろたえるばかりでした。

その後、組合で勧められて、しばぞの診療所を受診したところ、アスベストが原因のプラークが認められ、アスベストが原因の肺がんと診断されました。

その後抗がん剤治療を1回につき2~3週間の入院で、結局15~6回行ってきました。抗がん剤の副作用で、始めて1~2ヵ月で10㎏近く体重が減り、食欲はなくなり、吐き気や下痢に苦しみ、足が痛くて歩けなくなり、爪が割れて体中に発疹ができたりと本当に大変でした。骨転移、脳転移の段階では、放射線治療や、ガンマー線治療も行いましたが、ついには、意識がなくなって倒れてしまうガン性髄膜炎発作を2度、3度と起こすようになってしまいました。

3度目の発作の47歳の5月、「余命1ヵ月」と宣告されてしまいました。

この頃から言動がおかしくなってきて、病室で「誰かいる」と騒いだり、大声を出して暴れるので病院で拘束されたり、表情もそれまでとは違って目線も定まらないことが多くなってきました。

7月に入ると病院でこれ以上すべき治療はないといわれ、自宅に連れ帰ってきました。

それから一週間は、父母と私の3人で、昼も夜もなくずっと付きっ切りで看病して最後の時を過ごしました。

最後は苦しそうで息をしているとガラガラと音がして、喉の奥から水分が出てきて、タンをとる吸引器でとってもとってもまた出てくるという苦しみの中で7月11日の午後4時に息をひきとりました。

あれから1年の月日が経ちましたが今でも辛さは変わりません

主人は家族思いでとても優しい人でした。主人の写真は、今でも辛くなるので見ることが出来ません。あれから今日まで、涙が出ない日はありません。主人を奪った病、私をこんな悲しみに突き落とした病の原因となったアスベストが、私は憎くて憎くて仕方ありません。

主人の無念を、私のつらさの全てを、この裁判にぶつけていきたいという思いでいっぱいです。

以上

wpid-dsc_0190.jpg南房総散策とみかん狩りバスツアーに行ってきました

wpid-dsc_0238.jpgもちつき大会開催しました。

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